徒然なる雑記

日々の発見や趣味や学びについての記録

ある大学院生のお話

勉強時間

古今東西読書の有用性については説かれており最近でも多くのコラムが書かれるなど、普遍的価値があるということは全く疑いの余地がない状態であることは間違いないといえるでしょう。

そこでインプットの議論に入る前に読量をあげなければならないということについて最近思ったので、記します。

 

読書レベルに分けると①本を全く読まないし、その事についてなんら感じない。②本を少し読み、それで学んだ気になっている。③本を少ししか読まないが、まだまだ学びに足りないと感じている。④本を沢山読み、更なる高みを求める段階。

 

もっとも危険なのは②の層であるというような考えを得ました。

 

まさに僕でした。

 

確かに、僕は他の一般大学生よりはいろいろな事に興味を持ち、挑んでみたいと思いがちなようですが、しかし、そういう人が集まるような層(に属しているのかは別にしても)と比較して明らかに深みや頭のキレや回転の速さという点で弱すぎるということに気付きました。

 

というか、その弱点をしっかりと受け入れていこうと思いました。

 

やはりできるヤツはそれだけの経験を積んでいるということに他ならないなと感じた次第です。

 

まずは単純に量が足りていないことは認めるべきでしょう。

 

ちょっと出来るとか点数が良かった人々あるあるかもしれませんが、そんなにやらなくてもそこそこ取れてきたから、その程度で十分であるというようなナメた精神性が絶対的にあると思います。

 

もっと貪欲に徹底してインプットの量を増やしていき、確実に目標となるスケジュールを達成する事に死にものぐるいに食らいついていかなければと思います。

 

そうすることで多くのチャンスと可能性に出会えると思います。まさにインプットを繰り返すことで失敗に備えるという側面も必ずあり、インプットがなければ応用的アウトプットができないのは至極当然な可決であると思います。